ピーターモリニューがGDCでポピュラスのセッションをやったのだが、時間的都合で参加できず
箱庭ゲームの金字塔「ポピュラス」、そして「バンゲリングベイ」
今も第一線で活躍する2人の巨匠が語る、初めてのゲーム開発秘話
http://game.watch.impress.co.jp/docs/news/20110306_431660.html
(上記記事を書かれたのは佐藤カフジさんです。ボクはこの時間帯、別取材でした)
当時ガキンチョだったボクと、日本での彼との対戦についても語られたらしいのだが、挨拶に行けずに残念。
【追記】
ピーターは僕がチャンピオンだと思ったらしいですが、親善試合の当日、ボクはチャンピオンの代理で戦っただけです。
ピーターとの親善試合の当日、チャンピオンが諸事情で参加できなかったのです。
そこで、実際のポピュラス・トーナメントのときにチャンピオンと互角に戦った…と判断されたのと、チャンピオン自身の推薦でイマジニアからボクにオファーが来たのでした。
(多分、イマジニアも、事情を説明するのが面倒なので、コイツがチャンピオンだ、と説明したのでしょう)
ピーターとは、今でもE3やGDCなどのタイミングでインタビューしたりしますが、「お前か。私の作ったポピュラスはああいう戦法で遊ぶモノではなかったんだ」と笑いながら当時のことを言われることがあります。
今回は挨拶に行けずに本当に残念。
ちなみに、ポピュラス1でボクらが活用した「手作りの火山戦法」は「ポピュラス2」で無効化されました。
しばしば、ゲームなんかやるの? と訊かれることがありますが、昔も今も結構なハードコア・ゲーマーです。
あの頃はボンバーマン大会とかにも出てました。
ボンバーマン大会は東京大会で準優勝して賞品でパナソニックのポータブルオーディオをもらいました(笑)
ピーター・モリニューがブルフロッグを去った後に発売された「ポピュラス・ザ・ビギニング」(ポピュラス3)からは対戦シーンはインターネットへと移りました。
当時の自分は毎晩、ポピュラス3のネット対戦に明け暮れ、ワールドランキング5位まで登り詰めましたが、そこが限界でしたね。
この時の経験を元に書いたのが、この公式攻略本です
公式本を名乗る関係で版元の翻訳本の形態をとっていますが、実はボクの書き下ろしです。
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